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元添乗員の国外逃亡旅行記

BUY THE TICKET. TAKE THE RIDE.

ファッションで巡るギリシャ 色彩溢れる海の風景を訪ねて 【最終日】 ~アテネ パルテノン神殿~

クロアチアスロベニアを経てギリシャのメテオラ、アテネを巡った一人旅も、日本から来た母と妹を加えて賑やかな3人旅に。スタイルアドバイザーとしてIGや雑誌、ウェブコンテンツを中心に独自のコーデ術を発信する妹(IGID:miho0319kawahito)による旅に合うファッションコーデと、私の旅プロデュースとの姉妹コラボも今回のテーマの一つ。そしてこれからは、毎回旅気分が盛り上がるキャッチ―な曲も同時にご紹介。夢のように美しいギリシャの絶景と共に、ぜひぜひお楽しみ下さい!【旅行時期:3月末~4月上旬】※iphoneの方は記事を読みながら同時にyoutubeを開けないですが、好きなタイミングで聴いてみてください。

 

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さて、ギリシャを巡った旅も本日で最終日。

 

アテネで迎える最後の一日は、アクロポリスに聳えるパルテノン神殿の見事な朝焼けで始まった。ホテル・オリンピックの朝食レストランはこの堂々たる神殿の姿を眺められる絶好のロケーションにある。

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本日のファッションは、遺跡に似合うミステリーハンター風。詳しくは後ほど。

 

さて、今日はなんといっても旅のフィナーレ、世界遺産パルテノン神殿をこの目で見るのだ。ただし、パルテノン神殿を見て心の底から感動するためには一つだけ条件がある。“この神殿の一体何がどう凄いのかをよく知っておく"ということだ。

 

世界遺産には二種類あり、前知識なしにただ眺めただけで無条件に感動できるもの、そしてもうひとつは、前知識があってこそ初めてその素晴らしさが分かるというものだ。パルテノン神殿は、後者に当たると私は思っている。

 

パルテノン神殿は、誰もが学校で習い、様々なところで写真を見たり聞いたり、その名前を知らない人はいないほど有名なギリシャの遺跡である。しかしだからこそ、なんとなく知っている有名なもの、というだけでこれを見に行くのは危険なのだ。

 

なぜなら、実際のパルテノン神殿は修復のための足場だらけ。そして近寄ってみると、ほとんど崩れていて原型をあまり留めていない。朽ちかけた列柱に痛々しい修復の足場が組まれ、ゴシックやバロックの教会のように視覚に訴えかける装飾性があるわけではない。

 

有名なパルテノン神殿に過大な理想を描いてきた人には、なんだか期待はずれに映るかもしれない。それでも人は、世界遺産のあのパルテノン神殿だ!これは素晴らしい!と自分を納得させようとする。

 

神殿を見ただけて、「やっぱりさすがパルテノン神殿!ほんとスゴイよなぁ」と感嘆の声をあげている人は果たして心からそう思っているのだろうかと疑問に感じてしまう。むしろ、「なんだか思ってたほどじゃなかったなぁ」と言っている人の方がリアルなのだ。

 

では、この神殿の素晴らしさをよく知るためにはどうしたら良いか。

 

ガイドブックを見て、神殿の建てられた歴史はこうで、縦横高さが何メートルもあって、飾られていたメトープはどんなモチーフで、柱は何本、総指揮をとったのはフェイディアス・・・云々。という説明を読んだところで、なんだか退屈だしイメージが湧くようで湧かない。私も実はガイドブックはあまり好きではない。事前知識は映画か小説、雑誌で収集することの方が面白い。

 

そこで、ぜひオススメしたいのが柳広司著「パルテノン」。小難しい歴史解説なんてゴメンだ、と思っている方はご心配なく。

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本は全部で3つの物語から成っている。古代世界では神からのお告げを授かる巫女が様々な場面で重要な役割を果たしていたが、その中でも古代ギリシャに名高い史上最強の巫女と云われていたアリストニケは、実は神からのお告げなど受けたことはなく、それには驚くばかりに俗っぽい、彼女の超現実的秘策があった・・・という衝撃の「巫女」。

 

宿敵ペルシャを破り英雄として崇められてきた名将テミストクレスは本当に英雄だったのか、それとも実は極悪人だったのか・・・衝撃のラストが待っている古代ギリシャの法廷サスペンス「テミストクレス案」。

 

いずれも古代ギリシャの世界を歴史解説やデータの羅列ではなく、人間ドラマとして実に生き生きと描いている。

 

映画、300(スリーハンドレッド)なんかと組み合わせれば、より感情移入できる。

 

時間がなければ最後の章「パルテノン」だけでも良いが、これからパルテノン神殿を見に行くけれど正直あまりこの神殿のことを知らない、ギリシャのことを面白く勉強したい、という方はぜひ読んでおくことをおススメする。

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では、パルテノン神殿とはどのようなものなのか。これから私たちが実際に訪れたアクロポリスのレポートと共に見てゆくことにしよう。

 

アクロポリス

アクロポリスとは、城塞であり聖域。ここにパルテノン神殿他、いくつもの神殿や劇場が立ち並んでいる。

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アテネ市街に入ると、小高いアクロポリスの丘の上に堂々と聳えるパルテノン神殿を見てとることができる。

 

人で賑わう下町プラカの夜、見上げた月空にアクロポリスの丘が聳え、その頂にライトアップされた神殿が立つ姿、ホテルのルーフトップから眺めるアクロポリスと神殿の朝焼け。これらは文句なしに感動を呼ぶ。「ああ、ここはギリシャなのだな。」と誰もが思える光景だ。ある意味、その感動はパルテノン神殿を間近で見たときよりも素直なものかもしれない。

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アクロポリスの原型ができたのは紀元前13世紀である。聖域として機能しそこにパルテノン神殿が建てられたのはもっと後であるが、この丘は実に約3000年以上前、日本でいうと縄文時代から、ずっとずっと、今と同じようにこの場所を見下ろしてきたのだ。

 

■神殿に続く道
さて、悠久の歴史を見続けてきた聖域に、私たちはいよいよ足を踏み入れる。アクロポリスの入口までは、坂をどんどん上って行く。

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母と妹、本日のファッションはミステリーハンター風を意識。スカーフを主役にした引き算コーデで、ベースは遺跡に馴染むベージュやオフホワイトのベーシックなカラー。大判のスカーフをアクセントにして、遊び心も忘れずに。

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気持ちの良い風が上がってきて、緑の草をそよがせる。眼下には次第に小さくなってゆくアテネの街が見える。

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時は紀元前438年。日本ではようやく稲作が始まり、高床式倉庫が発明された弥生時代

 

この日、まだ夜も明けないうちからアテネの街は興奮に包まれていた。なぜなら待ちに待ったパルテノン神殿落慶の日だからだ。アテネの市民は老いも若きも、ひとめ神殿の姿を見ようと暗いうちからアクロポリスに登る道に行列をつくっていた。

 

パルテノン神殿が宿敵ペルシャによってめちゃくちゃに破壊されてしまってから長い年月が経った。古代ギリシャ世界、いや世界史上最高の天才彫刻家とも云われるフェイディアスの総指揮の下、今ここに華々しくかつての神殿が甦ったのである。

 

「どうやら、今度の神殿はとてつもなく美しく、とんでもなく神々しいらしい。なんとフェイディアスは神殿をついに宙に浮かせたのだとか!?」

 

そんな噂が人々の間でまことしやかに囁かれていた。女神アテナに捧げる貢物を持った神官や巫女の列、賑やかに音を奏でる音楽隊の列、そして長い長い市民たちの列は終わりが見えない。気の遠くなるくらいの時間をかけて、人々はアクロポリスの入口へ辿り着いた。


■姿を現したパルテノン神殿
さて、私たちも坂と階段を登りきり、楼門を潜って聖域に足を踏み入れる。

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朝靄の中、雲に隠れていた太陽がようやく姿を現した。と同時に坂を登って来たアテネ市民たちの間から、感嘆、歓声、溜息ともとれる声が一斉にもれた。

 

そこにあったのは、朝の光を受けて神々しいまでに輝く総大理石の大神殿。

 

実際に行けば分かるが、門を潜った人々はまず、正面ではなく30度近い斜めの角度から少し見上げるように神殿を眺めることになる。f:id:mamfuj:20150803084057j:plain

 

実は、これもフェイディアスによって計算し尽くされた演出。長方形をした建物は、真正面よりも斜めから見上げるように眺める時、最も美しいと感じるのだ。

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※↑入口側は足場が多いため、反対側より撮影

 

神々を祀る神殿へ斜めの角度から近づくというのは今までに例の無いことであった。日本の寺社や教会などもそうだが、門はやはり正面にあるものだというのが常識。たったそれだけでも、フェイディアスがこの神殿の美にかけた並々ならぬ思いというのを感じることができる。

 

 

■全体の素晴らしさ
神殿に近づいてみよう。今は大部分が壊れてしまっているが、残っている列柱の間から当時の姿に思いを馳せてみる。

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パルテノン神殿を目にした市民たちは、神殿に近づくと思わず息を呑んだ・・・

 

宙に浮いているのだ。

 

正確には、宙に浮いているように“見える”のだ。この神殿には、石造り特有の重苦しさというものがまるで無い。これこそが、フェイディアスが神殿建設の全体を通して目指した究極の美。「石できた神殿を宙に浮かせる?そんなことできるわけがない!」そう思っていた市民たち全員が、当時この姿を見て言葉を失ったという。パルテノン神殿以前には、世界中の誰一人なし得なかった奇想天外な発想であった。

 

実際に行く人はよく観察してみて欲しい。なかなか肉眼では分からないが、実はこの四角く見える神殿はどこひとつとって直線ではないのだ。すべてが曲線で構成されている。床面は中央にかけて僅かな曲線を描いて盛り上がっている。壁の外側は上にいくほど僅かに傾いている。均等に見える計46本の柱は、実は全て異なった間隔、異なった太さ。更に垂直ではなく、中央に膨らみをもたせてある。

 

これらは一体何を意味するのか。そう、現代のように機械も重機もなかった当時、これらはすべて人の手で石切場から切り出され、寸分の隙間もなく組み合わされているのだ。目で見てわからないほどの曲線をもたせることを計算に入れて全ての石を切り出すなど、もはや人力でどうやったらできるのか現代の私たちには知る由もない。その恐ろしく精密な設計と建築技術により、出来上がった総大理石の神殿は当時、前代未聞の軽やかさで、まるで天に向かって飛び立とうとしているかのように見えたのだった。

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現在、当時の姿を甦らせようと修復作業が続いているが、現代の技術をもってしても当時の姿に修復することは難しいという。パルテノン神殿は僅か15年で完成したが、発掘、修復はかれこれ200年くらい続いている。

 

■内部
人々は、神殿内部に足を踏み入れて、さらに驚愕することになる。

 

内部には、アテネの守護神アテナ像が安置されていた。高さ12メートルにもなるとてつもなく巨大な像は、当時ギリシャ全土の人々がおそらく目にしたこともないほどの大きさだった。わずかな光の差し込む大理石の神殿内で、その像だけが光を集約して眩いばかりに輝き、内陣からは像が放つ光の筋が列柱の間を通して外へ漏れ出ていた。なんとアテナ像の白い肌は象牙、そしてその他はすべて黄金で造られていたのだ。一度にこれほどの黄金を目にしたことは、そこにいた全員が経験したことがなかった。その資金たるや、神殿そのものにかかった費用よりも高額だったという。

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■二人のキーパーソン
パルテノン神殿、そしてそれが建てられた古代ギリシャの黄金期を語る上で欠かせない人物は二人。アテネの敏腕政治家ペリクレスと、比類なき美の担い手フェイディアスだ。

 

実はこの二人は幼なじみ。ペリクレスは事実上ほぼ一代で世界初の民主制を確立させた。容姿端麗眉目秀麗、頭が切れて弁が立ち、真面目、誠実だったペリクレスは民衆の絶大な支持を得ていた。

 

ペリクレスは、自らの人生をかけて築き上げてきた民主制や強国アテネ繁栄の象徴として、パルテノン神殿の再建をフェイディアスにもちかけたのだった。神殿再建には膨大な資金が発生したが、それは建設に関わる全ての民衆たちに給料というかたちで支給される。実は公共事業に従事する国民に給料を支給する仕組みというのも、ペリクレスが初めて確立したのだった。

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一方フェイディアスは、世界史上並ぶ者がいないと云われるほどの天才的な彫刻家だった。幼なじみの美青年ペリクレスに反して彼の容貌は無骨だったというが、美に関しては一切妥協を許さない完璧主義者。恋人にしていた美少年リュシスも、老若男女誰もが顔を赤らめてしまうほど完璧に美しい少年だったという(古代ギリシャ世界では、少年愛というのは公認されたものだった)。

 

そして、彼が幼なじみペリクレスに持ち掛けられ、一生を賭けて追い求めた美の集大成として臨んだのがパルテノン神殿再建の総指揮だった。

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こうして、ギリシャ史上最も有名な人物として描かれるペリクレスとフェイディアスは、若干30歳超にして“前代未聞のパルテノン神殿再建”という同じ夢を追いかけることになったのだ。


■夢の結末
ペリクレスは64歳で、アテネ中に蔓延した疫病のため命を落とす。彼の瞳には最後まで、民主制の勝利を讃えるかのように堂々と聳えるパルテノン神殿が映っていた。フェイディアスは、同じ夢を追いかけた幼なじみの死後アテネから姿を消す。

 

彼らの夢はその後どういう結末を迎えたのか。

 

残念ながらペリクレス死後、強力な指導者を失ったアテネ衆愚政治に陥り、民主派と寡頭派は再び争い徐々に衰退してゆくこととなる。これにてギリシャの黄金期は終わりを迎えるのだ。

 

フェイディアスの造り上げたパルテノン神殿は17世紀まで残ったが、最終的にはヴェネツィア軍の砲撃によって破壊されてしまう。ヴェネツィアといえば、後にルネサンス美術の担い手となる。ルネサンスとは、他でもない古代ギリシャの美の復興を掲げた芸術の一派である。フェイディアスの最高傑作パルテノン神殿を破壊したのは、皮肉にも、後に古代ギリシャの美を至上のものとして称賛しお手本にすることになるヴェネツィア人だったのだ。

 

しかし、形は無くなれどもパルテノン神殿が後世に与えた影響というのは計り知れない。ペリクレスの民主制は今や世界中でポピュラーに。そしてフェイディアスの美の概念は、今でも世界中の建築物のスタンダードとなっている。たとえば私たちが、“ギリシャ神殿風の○○”と聞いて思い浮かべるのは、十中八九パルテノン神殿の形なのである。世界史の知識が特にない人まで、知らず知らずのうちにフェイディアスの美の概念に慣れ親しんでいるのだ。

 


パルテノン神殿の素晴らしさ、少しは分かって頂けただろうか。この足場だらけの廃墟には、実は計り知れないドラマと夢と、歴史の重みが詰まっている。それを知った今この神殿の前に立てば、朽ちかけた列柱の間に、当時のアテネ市民が溜息を漏らしたあの美しいパルテノン神殿の姿を見ることができるだろう。

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■旅のおわり

アクロポリスを後にし、ギリシャの旅も終えることにする。

 

今や経済破綻という大惨事になってしまったギリシャ。しかし間違いなく2500年前には世界に先駆ける前衛的な国家だった。何しろ、あのローマ帝国でさえギリシャをお手本にしたのだから。

 

ギリシャ旅の全体を通じて最も印象的だったのは“人々”だった。ホテルのオーナー、タクシー運転手、漁師たち、レストランの店員さん、皆どこかのんびりしていて、陽気で、他人に優しい。悲痛な面持ちの人は一人も見かけなかった。国家としての現状に不満は抱けども、ギリシャ人であることにはどこか確固たる安心感を抱いているようなのだ。彼らには、国民としてというよりも民族としての誇りを感じる。そうやって過去の栄光にばかりしがみ付いているからこんなことになるのだと言われるかもしれないが、自らの遺伝子をそこまで信じることができるというのは、あるいは幸せなことなのかもしれないとも思う。

 

どちらにせよ、メテオラ、ケファロニア、ザキントス、サントリーニ、アテネと旅をしてきて、ギリシャのことがすっかり好きになってしまった。

 

アテネの街を見下ろし続けてきたパルテノン神殿。この先、その眼下でどのような歴史が繰り広げられるのだろうか。

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空港へと向かうタクシーの中、街のビルに隠れてその姿が見えなくなるまで、私は神殿を眺め続けていた。

(終)

 

 

 

 

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母妹が合流する前の一人旅バージョン(パリ、クロアチアスロベニアギリシャ)も

合せてどうぞ☆

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