三泊四日、民主化デモ真っ只中の香港・マカオへの旅。ネオン輝く繁華街や金色の水上レストランなどギラギラした部分だけでなく、今にも崩れそうな雑居ビルに侵入するなど、煌びやかな香港のもう一つの顔にも迫ります。マカオでは沢木耕太郎の「深夜特急」にも描かれた場所を訪問。今回は同行者ありの旅。【旅行時期:9月末】
寝ている同行者を部屋に残したまま、私は朝早く外へと繰り出した。
早朝散歩の習慣は同行者がいても変わらない。
ところが、ホテルから一歩出ると昨日のデモの名残が道を塞ぎ、車はおろか路線バス、トラムの類も一切走っていない。
香港名物二階建てトラムに乗ろうと思っていたのだが、少なくともこの香港島のセンターエリアでは地上の公共交通機関が完全に麻痺しているようだ。
仕方がないので目的地まで地下鉄で移動することにした。
幸い、地下鉄は通常運行に戻っていた。
香港中心部では、タクシーやバスよりも、圧倒的に地下鉄、トラムでの移動が便利だ。
なぜなら、香港ではこういった大小のデモが頻発し、そのたびに通行止めになることが多々あるからだ。
また、入り組んだ中心部は細い路地や一方通行が多く、車で移動する場合は遠回りさせられ思ったより時間がかかってしまう。
それに起因して、時間帯によってはひどい渋滞に巻き込まれ時間が読めない。
しかし、地下鉄は大抵主なスポットやショッピングモールに直結しているし、九龍側と香港島側の移動も、タクシーで渋滞に巻き込まれれば30分もかかるところを僅か5分程度で結んでいる。
トラムは路面から直接乗れるし、かなり頻繁にやって来るのでちょっと歩き疲れた時に乗るなど非常に使い勝手が良い。
そこで超便利なツールが「八達通(オクトパス)」。
パスモと同じようなチャージ式プリペイドカードで殆ど全ての交通機関に使え、しかも通常よりいくらか割引運賃で乗れる。
切符をいちいち買う手間も省け、残額は窓口で払い戻してもらえるという無駄の無さ。
更には、コンビニやスタバでも使えるため、小銭が煩わしい買物などは全部済ませてしまえるという、これ以上ない優れものなのである。
地下鉄、トラムとオクトパスを使いこなせば、香港の交通機関は制覇したも同然、あらゆる場所に自由に行き来することが可能になる。
カード本体を購入して増値機でチャージすれば、あとは簡単。
さて、今朝の早朝散歩の目的地は少し変わったところだ。
雑居ビルである。
香港といえば、100万ドルの夜景にハーバー沿いに林立する高層ビル群、免税大国らしい大型ショッピングモール、英国式アフタヌーンティーに広東料理の美食三昧・・と華やかなイメージが先行する。
しかし、そうしたキラキラした香港の裏側に、ゾッとするような雑居ビルが聳えていることに、誰もが気付かない訳ではないだろう。
最初にビルに興味を持ったのは、トランスフォーマーシリーズの最新作「トランスフォーマー ロストエイジ」を見たときだった。
予告編ではほんの一瞬しか映っていないが(2:01と2:15画面左)、香港でロケが行われた本編をみると、そこに出てくるビルの全体像は印象的としか言いようが無い。
映画『トランスフォーマー/ロストエイジ』最新映像第2弾 - YouTube
香港にはかつて、「伝説の魔窟」と言われた九龍城というスラム街があった。
英国領香港の中に中国の飛び地として残されたものの、英国、中国どちらの法律も適用されない東洋で最も危険な完全無法地帯として、「魔窟」の名を欲しいままにした。
迷宮のような建築群は香港の裏社会に蔓延るあらゆる悪の巣窟となり、ここへ一歩足を踏み入れたは最後、二度と出てはこられなかったという。
「ブラッドスポーツ」(1987米)という映画には九龍城内部のシーンがある。
Kowloon Walled City (bloodsport) - YouTube
Amazon.co.jp: 九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 - City of Darkness: 吉田 一郎, グレッグ・ジラード, イアン・ランボット, 尾原 美保: 本
九龍城は今は撤去され平和な公園へと生まれ変わっているが、香港には九龍城を彷彿とさせる怪しいビルが今でも至る所に見え隠れする。
トランスフォーマーのビルシーンはてっきりCGかと思っていたのだが、調べてみるとどうやら実在するビルが使われていたようだ。
旅の下調べをしていくうちに、私はついにそのビルの所在を突き止めた。
黒々とした雑居ビルは香港のもう一つの顔である。
私はこのビルを何としてでも見てみたいと思うようになった。
ちなみに、女一人で行くからには治安面を考えていない訳では無い。
そのビルは人通りの多い大通りに面し、スラム街でも無ければ治安が悪い地域にあるわけでも無い。一般住民の住まうアパートとテナントの入った普通の雑居ビルなのである。
訪れる時間帯も、朝一の通勤客の多い時間帯を狙った。
ただし、見た目のインパクトは現代の九龍城とも言うべきものを持っていた。
ビルは、金鐘駅から地下鉄で一本、太古という駅を降りて英皇通を少し歩いたところにあった。
駅の周辺は何の変哲も無い街の一角である
香港独特の、竹の足場の建設現場が見事だ。
この大通りを反対側に渡って振り返ると、そこには周囲の街並みと異様ほどにミスマッチな、あの衝撃的なビルの全貌があった。
想像以上のインパクトだ。思わず口を開けたまま暫く見とれてしまった。
九龍城は当時世界で最も人口密度の高い場所と言われていた。その密度たるや、なんとたたみ一畳に平均3人が生活をしていたほどだと言われている。
現代の香港の住宅事情も例外ではなく、香港市内の不動産は高騰の一途を辿っており、香港市民にとって住宅問題は非常に深刻になりつつある。
ペンシル型の異常に細く高いビルが有りえない間隔で林立する風景に、香港に来たら誰しもが驚くだろう。
私はこのビルの内部に入ってみることにした。
まずビルに近寄り、内部に入れるとっかかりは無いか一階部分を調べてみた。
一階部分は飲食店や散髪屋などの店が入っているようだ。
店の一角に、アパートに続く入口らしき通路を見つけた。門構えは意外にも立派だ。
両側にはテナントが入り特に危険な匂いはしなかったので中に入ってそのまま突き進むと、すぐに中庭らしきスペースに出た。
ビルは奥まで詰まっていたわけではなかったのだ。
そこは外部とは一線を画した不思議な空間であった。
薄暗い中庭は、三方を壁に囲まれ地上まではほとんど陽の光が届かない。
夥しい数の部屋が蜂の巣のように犇めいている。
迫りくるようなアパートの壁。この建物の中に一体どれだけの人間が詰め込まれているのだろうか。
実は、調べた限りではこのビル内部にここまでならば入った人はいる。
しかし、この先建物本体の内部がどのようになっているかは、どこにも資料が無かった。
中庭に面した一階部分を一回りすると、すぐに内部へと続く扉を発見した。
得体の知れない世界への入口のようで少し不気味な気もしたが、それよりも好奇心が勝った。
エレベーターに乗るのは何だか怖い気がして、階段でとりあえずひとつ上の階まで上がってみることにした。
人気の無い階段には、小窓からほんの少し弱い光が差し込むだけ。
上がりきったところに何かが潜んでそうな気がして怖くなる。
階段を上がると、そこはまるでバイオハザードに出てくるような世界だった。
ゾンビが突然現れてもおかしくないような不気味さだ。
快晴の朝なのに外部からの光は全く届かず、エレベーターホールには切れかけた蛍光灯がパチパチと不規則に点滅していた。
部屋の並ぶ廊下は極端に狭く、扉を開けると向かいの壁ギリギリになるため人が通るスペースが無い。
ここは中流階級の一般住民が暮らすアパートであるので、スラムに足を踏み入れる時のような身の危険を感じる恐怖はない。
しかし、地上であっても一切日光の届くことが無い、地底世界のような暗く狭い空間に一生暮らしていくことを想像してみると、それはやはり恐怖以外の何物でもなかった。
室外機から滴る水滴の音だけが、暗い廊下にピチャピチャと響いている。
飾りのような窓を覗いてみても、その先には暗闇があるだけで景色が見える訳でもない。
物憂げに歩く住民の影が、ゆっくりと目の前から遠ざかっていった。
「近年では中国の好景気や新富裕層の登場も香港との緊張を招く原因となっている。中流階層住民のほとんどに手が出ない水準にまで居住用不動産価格が高騰しているのは、外資保有規制にもかかわらず、中国本土の買い手からの需要が旺盛なためだとみる住民もいる。」(10.1WSJ)
以下の写真では、衝撃的な香港の住宅事情が垣間見える。
Low income apartments in Hong Kong | KoiKoiKoi
※※上記ビルでの撮影は2018年1月より禁止となりました。
SNSの普及により観光客が増え、傍若無人な振る舞いが住民の生活を圧迫しているとのこと。私達観光客は、住民の本来の生活を侵害することのないよう、節度のある態度で旅をすることが求められます。
この記事は禁止となる数年前に書いたものです。
外に出ると、久しぶりに息をしたような気になった。
そのまま地下鉄に乗り、金鐘へ戻りがてら春秧街(チョンヨンガイ)のある北角(ノースポイント)で降りる。
ここは活気のある市場のど真ん中を店ギリギリにトラムが走り抜けることで有名だ。
だが今日は残念ながらトラムがなかなか来なかった。代わりに肉屋に豚肉を卸しに来たトラックと出くわした。
異国世界の市場はやはりいつ見てもディープだ。
湾仔から西はデモの為道路が封鎖されているが、それより東であるこの辺りはトラムが動いている。
そこで、やって来た二階建てトラムに乗ることにした。
そこら中にある停留所に頻繁に来るトラムに乗り込み、好きなところで降りるだけ。オクトパスがあれば降車時にタッチするだけで、とにかく簡単便利な乗り物だ。
2~3駅乗って満足したところで、そこにあった地下鉄に乗り換えホテルへと戻った。
(③日目は後篇に続く)