今回の旅のテーマは珠玉の田舎町めぐり。フランスはトゥールーズへ入り、南西部の最も美しい村に登録される村々を巡ります。後半はマドリードへ飛んでスペイン、アンダルシア地方の田舎町で馬に乗り野山を駆けます。【旅行時期:11月中旬】
ロンダを発つ日だ。
朝ごはんは、今朝庭で採れたフレッシュなトマトをペーストにして塗って、バジルとオリーブオイル、塩胡椒をしたトースト。
温かい紅茶も相変わらずたっぷりある。
ロンダの自然のめぐみを口いっぱいに頬張り、最後の朝を噛みしめる。
朝食を終えると、ガルロッタとジュリーと共に庭の偵察に出ることにした。
ホテルは旧市街の端っこにあるかわりに、高台にある庭からは素晴らしい景色を見ることができる。
二匹は毎朝こうして庭を隈なく回り、異変がないかどうかチェックしているのだとか。
庭を見て歩いたあとは、最後にもう一度ホテル周辺を散歩することにした。
ホテルから歩いてすぐ、渓谷の方へ下ってゆく道がある。
半ばまで下ってからふと視線を上げると、まるで絵葉書のような緑の田園風景と白い民家。アンダルシアらしい景色が目の前に広がっていた。
帰り際、チップを渡すだけでは野暮な気がして、パエリアのお礼にと非常食で持ってきていたどん兵衛をあげた。作り方の説明書きを添えて。
日本のカップ麺は物珍しいのと美味しいのとで、外国人にあげると結構喜ばれる。
どん兵衛を受け取ったホセさんの皺くちゃな笑顔が今でも目に焼き付いて離れない。
今回のような田舎の小さなホテルでの滞在は、都会にある最新鋭の高級ホテルとは違い、どうしても不便さは残る。
お湯の出は悪いし、部屋にはヒーターが一つだけ。テレビは壊れているし、アメニティーも無いに等しい。
都会的なホテルに慣れたゲストにはマイナスポイントだろう。
しかし、大都市の大型ホテルでは決して味わえない、オーナーや地元の人たちとの血の通った温かいコミュニケーションができるのはこういったホテルならではの醍醐味だと言える。
どんなに快適な高級ホテルの設備を以てしても及ばない、そこでしか出会えない物語がある。
ホセさんに駅までのタクシーを呼んでもらったのだが、タクシー会社の電話番号がいつの間にか変わってしまっていたらしく電話口からは間違い電話をかけられた女性のけたたましい怒鳴り声が聞こえてきた。
「まったく弱ったよ、彼ら勝手に電話をかえちまって知らせもしないで。」とホセさんは困った顔をしていた。
あくまでマイペースなスペイン片田舎の人々。
でもなぜか憎めない。
こういうのも悪くないな、と思った。
マドリードに着くと昼ごろになっていた。
この日はお土産調達と、チェックしていた店、一応有名な見どころをおさえに奔走することにした。
マドリードの中心部は東京都内ばりに地下鉄が発達していて、非常に便利だ。
こういう短い滞在期間ならば、一日乗り放題券を駆使すれば完全にもとがとれる。
さて、まずは名物料理を胃に収めるために走る。
なんといっても生ハム。「ムゼオ・デル・ハモン」。 生ハム専門店へ。
Los museos más sabrosos de Madrid
ここはマドリードに何店舗も構える有名店で、イベリコ豚をはじめ各種生ハムを取り揃えている。
バル形式の立ち飲みカウンターには地元民と観光客で溢れかえっている。
大柄なおじさん達の間にかろうじて身体をねじ込むと、お通しのミニハムサンドが二つも出てきた。
なんだかこれだけでお腹がいっぱいになりそうだ。
白ワインと、この時まで食べずにとっておいた最高級イベリコ豚の生ハム、JAMON IBERICO DE VEGIOTA を頼む。
同じイベリコ豚の中でも、指定された地域でどんぐりの実だけを食べて育ち、一定の基準をクリアした豚にのみ与えられるブランドだ。
特に生ハム好きというわけではない私だが、さすがにベジョータは美味しかった。
ハムというよりも、肉厚でベーコンやジャーキーに近くこれらをもう少し生にした感じ。表面に荒塩がパラパラとかかっていて絶妙な塩加減と湿り気。
鮮やかな赤に適度な脂、噛めば噛むほど味が沁みだしてくる。
他のハモンイベリコと比べるとベジョータは値段も3倍くらいする。
しかし生ハムばかりに気を取られている暇はない。まだまだ見ておきたいところは沢山あるのだ。
次に向ったのは有名なマヨール広場だ。
四方を土産店やレストラン、カフェの回廊が囲む典型的なヨーロッパの広場である。大道芸人が道行く人に愛想を振り撒いていた。
帽子専門店や勲章専門店など興味を惹かれる店もいくつかり、店を冷かしながらそぞろ歩くのも楽しい。
賑やかな広場を出て雑多な路地裏を幾つか抜けると、サンミゲル市場がある。
その土地の食生活を感じるには市場を見るのが一番良い。
ガラス張りの箱のようなサンミゲル市場は、今までみたヨーロッパの市場とは少し違った趣があった。
市場というよりはフードコートに近い。
ディープな地元民向けの市場というよりはやや観光客向けではあるが、キレイで快適、所狭しと並ぶ露店が目を楽しませてくれる。
ここの良いところは、複数の店からテイクアウトをして中央のイートスペースでそれを食べることができる点だ。
したがって、あっちの店でムール貝のワイン蒸しを、こっちの店でパエリアを、そしてセルベセリアでビールを、デザートにはジェラートを、なんてことができるのだ。
それに量り売りのところが多く、私のような一人旅の者には有難い。
ひとしきりサンミゲル市場の喧騒を楽しんだ後は、もう一軒、行っておきたかった店に向かった。
「ショコラテリア・サンヒネス」。
そう、マドリードは言わずと知れたチュロス発祥の地である。
チュロスとは油で揚げた細長いドーナツ。ディズニーランドなんかで売っているあれだ。
この店はマドリードで最初にチュロスを出した店だといわれている。
ドロッとした濃いホットチョコレートに揚げたての見事なチュロスが6本。これで4€程度である。
ホットチョコレートにサクサクのチュロスをどっぷりと浸けて食べるのがマドリード流。
チョコはかなりドロッとしている割に甘さ控えめなのでたっぷり付けても案外しつこくない。
しかし、先の二軒でお腹がいっぱいだったのでチュロス2本が精一杯であった。
そこから地下鉄で2~3駅のところに、革製品の小物を扱う店がある。
ここには、ティーカップ型の革のコインケースやポーチ等、可愛らしい小物が充実していてお洒落な女性へのお土産にぴったりだ。
海外の店のディスプレイはものすごく野暮ったいのもあるが、ヨーロッパの洗練された都会や個性的な街の店には、とても洒落ていてずっと見ていたくなるようなものもある。
次はマドリードの大人スポット、カッリャオへ。
デパートも洗練されていて、高級ブランドショップも並ぶハイセンスなエリアだ。
時間が無いのでデパートは覗けないが、ここでの目的はロエベ本店で来月誕生日を迎える実家の母へ誕生日プレゼントを買うことだった。
ロエベマドリード本店の威風堂々とした佇まいは見事に街に溶け込んでいて、やはりブランドショップはその生まれた街にあるのがしっくりくるのだろうと思う。
母に似合いそうなスカーフを購入すると、カッリャオを後にした。
本当はヨーロッパ三大美術館といわれるプラド美術館にも行く予定だったのだが、タイムオーバー。
なぜなら今夜は街中のタブラオ(フラメンコを見せる酒場)にフラメンコを見に行くべく予約をしてあったからだ。
一度ホテルに帰って土産物を置き、身支度をして出なければならない。
しかし、やはりウサプリンセサホテルのコスパは最高だ。
この値段で部屋がこれだけ広々としているのが良い。
今夜の帰りは深夜近くなることを考え、治安面を考慮してできるだけ軽装で行くことにした。
そこで荷物は貴重品を入れたきんちゃく一つ。
最終日にひったくりにでもあったら後味が悪い。
今宵行くタブラオは、「カフェ・ド・チニータス」。
Café de Chinitas - Restaurant Madrid - Flamenco live show
マドリードのタブラオの中でも演者の質が高いことで有名だ。
駅から少し歩き、街灯も少ない路地裏にあるので少し怖い気もしたが、すぐ近くに国の機関があり警察が立っていたので安心できた。
暗い路地裏に、タブラオの看板がポツンと灯っている。
繁華街ではなく周りは普通の建物であるだけ、穴場な感じがしてワクワクする。
公演の一時間ほど前に入り、食事を楽しむ。
ガスパッチョと小エビのアヒージョ、そしてサングリアをオーダーした。
前菜のつもりで頼んだガスパッチョの量の多いこと。深いグラスのスープ皿に並々と。
これを飲みきると相当お腹が膨れることが予想される。
続いてでてきたアヒージョもエビが立派で食べごたえあり。
昼を食べすぎたこともあって、これくらいで丁度であった。
さらにサングリアは一人なのにカラフェで出てくるし、酒に弱い私には到底飲みきることはできない。
そうこうしているうちに、フラメンコが始まった。
フラメンコの起源については未だはっきりしたことは分かっていないが、ヒターノと呼ばれるスペインジプシーの音楽文化と、キリスト教徒に追いやられアンダルシアに根を張ったイスラムの音楽文化とが融合してできたという説が有力だ。
確かに、ヨーロッパにあって、アラブのアザーンにも似た中東的なエキゾチックさ、もの哀しさが渾然一体となった独特の旋律である。
フラメンコの神髄は、カンタオーラと呼ばれる歌い手が絞り出す魂の震えるような深い歌声だと言われる。
歌というよりも叫び声に近いのかもしれない。
それに合わせるようにして、メリハリのある手拍子、掛け声がバイラオーラ(踊り手)を徐々に煽る。
バイラオーラは、最初は笑顔を見せつつ軽やかに、そして段々と激しく、魂を込めた踊りを披露する。
汗が飛び散り力強いステップの振動が客席にまで伝わってくる。
アンダルシアで生まれたフラメンコは、異教徒に支配されながらも気高き心を失わなかった民族の象徴でもあり、結果的に異教徒との融合を選ばざるを得なかった彼らの魂の叫びでもあるのかもしれない。
公演が終わると深夜0時近くになっていた。
路地は人気がなかったが、大通りはまだまだ賑わっており特に危険は感じなかった。
大事を取ってタクシーで帰ろうと思っていたが、メトロには人があふれ、警察も随所に立っているし、若い女性や家族連れも多く安心できたのでメトロで戻った。
明日はいよいよ帰国である。