ミラノから入り、魅惑のモロッコへ。迷宮都市フェズで迷路を彷徨い、モロッコ料理教室へも参加。シャウエンでは青の街に魅せられ、後半は路地裏逍遥を楽しむべくヴェネチアへショートトリップ。【旅行時期:3月末】
8時半の朝食前に、恒例の早朝散歩をしてくることにした。
リヤドの玄関は秘められた民家らしく、二重にも三重にも鍵がしてあって慣れない者が自力で開けるのには苦労する。
やっとの思いで重い扉を開けると、薄暗い屋内に朝の透明な光が差し込み一瞬目が眩んだ。
早朝のメディナが姿を現す。
昨夜は遅くにフェズに到着したため殆ど全体像が分かっていない。
今日はたっぷりとフェズのメディナを堪能しようと思う。
とにかく昨夜は真っ暗な迷路をただリデュアンの後にくっついて歩いただけなので一体全体街がどういう構造になっているのか皆目見当がつかない。
リヤドを一歩出ればそこはもう、完全なる異国の地である。
一応メディナにもメインロードらしき通りはある。
しかしなにしろ地図が全く役に立たない街、今はできるだけメイン通りから離れないよう注意して歩く。
おじさんたちの井戸端会議もミラノとはちょっと様子が違う。
いったん城壁の外に出て、翌日のシャウエン行のバスチケットを購入し早朝散歩の目的は達成。
フェズのメディナは城壁にぐるりと囲まれていて、人は城壁にいくつかある門からメディナへ出入りする。
壁の外は起伏に富んだ丘陵地帯。周囲には村や町と呼べるようなコミュニティーは他に見当たらない。
門から足を踏み入れると、活気に満ちた朝のスーク。
埃っぽい独特の匂いといい、ガヤガヤした雑踏といい、イスラム圏のこの空気は癖になる。
色々な人が色々な物を売っている。
ミッションインポッシブルなんかに出てきそうな光景があちらこちらで繰り広げられている。
マフィアの一味が辺りに紛れていたとしてもきっと分からないだろう。
メイン通りのカフェ。
ミラノのカフェとはまた全く趣の異なるカフェだが、これはこれで異国情緒があるというものだ。
ここでもカフェがおじさんたちの社交場なのだろう。
車が入れないメディナでの輸送手段は馬かロバである。
街自体が世界遺産でもあるフェズのメディナは、なんと1000年前から変わらぬ姿を今に伝えているという。
路地裏ファンの旅情を擽る街。猫の後について、あてもなく彷徨ってみたい衝動に駆られる。
あっちもこっちも袋小路。
突然現れる謎の扉。
このまま進むとどこか別の世界に誘われてしまいそうな薄暗い小路。
道幅はせいぜい人ひとり通れるくらいだ。
メイン通りにはこんな脇道が無数にあって路地裏ファンを誘惑する。
噴水が見えるとリヤドはもうすぐ。
ひっそりと、鮮やかに。
その時々、歩く度に違った表情を見せるメディナには吸い寄せられるような魔力がある。
この街には、気まぐれで蠱惑的な猫の姿がよく似合っている。
これがリヤドの扉。
本当に何の変哲もなくて、うっかりしていると見つけられない。
ドアにある鉄の輪っかをドンドンと打ち付けると、中から人が開けてくれるという古典的なシステム。
外からは開けられないのでいつでも自由に出入りできるという訳ではない。それがまた秘密めいていて魅力的なのだけれど。
広い車寄せや豪華なエントランスとは無縁の小さな木の扉。しかし、中に入ると外観からは想像もつかない広くて快適な空間が広がっている。
中央のダイニング兼公共スペースは開放的な吹き抜けに。
メディナは道幅の狭いところに家屋が密集しているし、一歩外に出ると人や動物がひしめき合い色んな音が飛び交っていて騒々しい。そこで、外向きにはできるかぎり目立たず窓もなく、壁に扉がついているだけ。
その代り、内側には中庭や吹き抜けがあって、それを取り囲むようにして窓があり、開放的な空間を演出している。
簡素な外観とミスマッチなほど優美な内装にしばし見とれてしまう。
やはり住居というものはその土地の特性に合わせて進化するものなのだということを肌で感じる。
カテリーナさん手作りの朝食は至ってシンプルだけれど味わい深い。焼き立てのパンケーキと優しい甘みのヨーグルトは特に美味しかった。
吹き抜けに面した窓にぶら下がっている鳥籠からは、まるで作り物のように美しいインコの囀りが聞こえてくる。
リヤドの屋上。抜けるような青空に蜂蜜色の土壁が映える。
この日は隣のリヤドに料理教室をお願いしてあった。
メールで問い合わせると、宿泊しているリヤドとはご近所同士で親しい仲だからこちらのリヤドに迎えに来てくれるとのことだった。
朝食を終えてひと段落したところで、隣のリヤド・ブージュルードのオーナー、ヴィンセントさんがやってきた。
事前の打ち合わせ通り、まずはスークへ買出しに連れて行ってくれるとのこと
隣のブージュルードへ行き、キッチン担当のイプティサムちゃんに会う。
彼女はオーナーの奥さん、ファティマさんの妹で、リヤドの料理を任されているとのこと。
彼女の後について、活気溢れるスークへと向かった。
これまで色んな国の市場へ行ったけれど、実際に自分たちが食べるために食材を買いに行くというのは初めてだ。
時間は10時を少しまわったところ。スークは昼食の買出しに来た地元の人々でたいへんな賑わいをみせていた。
様々な呼び込み、人ごみをかき分け、目当ての食材を買いに行く。
その国の食文化を知るにはまず市場を見るのが手っ取り早い。スークの世界はやっぱりディープだ。
マルシェバッグがいっぱいになったところで、買物終了。
こちらがブージュルードの玄関。やはり何の変哲もない木の扉。
さあ、いよいよキッチンに入れてもらいモロッコ料理のクッキング。
本日のメニューは野菜とチキンのタジンと、モロッカンサラダ。
その土地の家庭料理を現地で作らせてもらえるという経験はなかなか無いので新鮮だ。
タジンは数種類のスパイスを使い、鶏肉をじっくりと時間をかけて煮る。
野菜の皮の剝き方が日本と違ったりしていて面白い。
キッチンの入口ではブージュルードの飼い猫、フィオナが座って私たちを眺めている。
さて、タジンを鍋にかけ、出来上がるまで少しの間リヤドの中を見学させてもらうことにする。
ここも同じように内部の中央に吹き抜けがあり周囲を部屋が取り囲んでいる。もちろん壁のタイルはフェズ特産、色鮮やかなジェリーズタイルだ。
ほんの少しひんやりするリヤドの内部は、フェズの厳しい夏の暑さから身を守るのに適している。
さて、ようやくタジンが出来上がった。
ヴィンセントさん、ファティマさん、イプティサムちゃん、私の4人でテーブルを囲んでのランチタイム。
この時間にリヤドにいるゲストはなかったので、和気藹々と落ち着いて食事をすることができた。
前菜はモロッカンサラダ。揚げたナスを潰し、それに煮込んだトマトやニンニクと数種のスパイスを加えたもので、ホブスというパンにのせて食べると殊の外美味しい。人参の南蛮漬けのようなものもある。
フランス文化が根付いているからか、フェズで食べたパンはどれも美味しかった。とりわけ、ホブスは皮がカリっとしていて、中はしっとり、しっかりと穀物の味わいがして気に入った。
タジンは、鶏肉が驚くほど柔らかく、フォークを刺すと簡単にほぐれてゆく。
わずかに加えたカレー粉とレモンピールがアクセントとなって癖になりそうだ。
食後はこれもモロッコ名物のミントティーを頂く。ミントの葉ごと入った甘い紅茶で、これがまた癖になる味。
手土産のひとひら煎餅を囲んで団欒のひとときも楽しい。
煎餅は好評だったけれど、それ以上に評判が良かったのがパッケージ。
やはり日本は包む文化。和風の包装紙と箱、シール、全てがとても美しいと気に入ってくれたようだ。
たしかに外国では品物をきれいに包もうという習慣がほとんど無い。思わぬところで日本の良さを再発見したりする。
さて、お腹もいっぱいになったところで、午後はいよいよ本格的にメディナを散策する。
午後からは、英語の話せるガイドを手配してあった。
おそらく自力でメディナを歩こうものなら、忽ち方向感覚を失い目的地に辿りつけないばかりか、自称ガイドを名乗る輩や客引きに掴まり結局見たいものを半分も見られなかっただろう。
フェズは水が豊富なのは良いけれど、土壁が水を含んで脆くなるのだそう。そうでなくと もかなり年季が入っていて、壁と壁を木組みで支え合っているのだから恐ろしい。
フェズは職人の街であって、色んな工房があって面白い。
全て手作業で彫ったと思うと只々感心するばかり。
至る所に泉があり、そのどれもが凝ったデザイン。
散らかり放題だが、よく見ると細かい手仕事のあとが。
悩めるムスリム。
婚礼用バブーシュの店。
イスラム教徒以外は入れないカラウィンモスク。イスラム建築に特徴的なこのアーチから中を覗くのが好きだ。
サロン・ド・テ という洒落た響きと寂れた看板とのコントラストが面白い一枚。
皮なめし職人街にやってきた。皮を運ぶロバに遭遇。いまだにメディナ内では荷運び用のロバが活躍している。
まるで絵の具のパレットのような皮の染色工場、タンネリ。白い部分は石灰と鳩の糞を混ぜている。
ここに暫く浸けたあと色つきの方で染色していく。職人たちは服ごと染色池に入り込み一日中皮と格闘する。なんと苛酷な仕事。中世から変わらない手法なのだというから驚きだ。
途中、庶民的な食堂のような店に立ち寄り食事をしていたガイドさんの両親に会った。
決して裕福とは言えないけれど、ここの人たちは大家族で支え合って生きている。
細い路地を自由自在に歩き回るガイドさんに脱帽。案内してもらって本当に良かった。
コミッション狙いの土産物屋巡りもしないし非常に快適だったのでこちらからショップをリクエスト。お土産のバブーシュと自分用のジュラバを購入。
イスラム過激派の影響でイスラム国及びイスラム教徒は危険だというイメージが先行しているが、これまで訪れたイスラム圏の国で嫌な思いをしたことは一度もない。
それどころか、これらの国によく行く添乗員は、皆イスラムの人々が大好きだ。
過激派や原理主義のテロ集団などは確かに世界的な脅威ではあるし、少なくとも彼らがイスラム教から生まれたものであることは否めない。
しかし、目立っているのはカトリックに次ぐ人口を擁するイスラム教徒のうちの、ほんの一部であることを念頭においておく必要がある。
メディアの報道というのは恐いもので、イスラム教徒全体がなんとなく危ない、脅威であるかのようなイメージを人々に押し付ける。
それならば、アメリカのスパイ組織NSAなどはどうなるのか。
彼らは海底ケーブルに盗聴器を仕掛けテロ撲滅のためと言いながら世界中の一般人の通話記録や電子メール記録を自由に見聞きし、自分たちに都合の悪い人物とあれば暗殺までもしていたことが最近問題となった。
イスラム過激派のように原始的な手段で目立って人を殺すことが無いし、アメリカの組織ということで何となく正義に見られがちだが、やっていることは十分に恐ろしい。
百聞は一見に如かずというように、実際に行ってみなければ分からないことは多々ある。
もちろん、危険地域や過激派の息のかかった地域にわざわざ行くのは愚の骨頂であるけれど、それ以外のイスラム圏の国々は至って平和なのである。
シリアやヨルダンで共に仕事をしたガイドは親身になってお客さんの世話を一緒にしてくれたし、トルコのガイドは新婚のお客さんに自腹でサプライズプレゼントをしてくれた。
どうやったら日本の観光客に楽しんでもらえるか、そういうことを常に考えて動いてくれる人が多かったし、欧米人よりもそういった思いやりが強いように思える。
今回の旅だって、親切に料理を教えてくれたブージュルードのファティマさんやイプティサムちゃんはれっきとしたモロッコ人。英語ガイドの彼も日本が大好きだという。ドライバーのリデュアンも人当たりが良く気が利いてとても親切だった。
イスラムの人々は控えめでいて、温かい。
観光が終わって別れ際に、彼は私の手をとり「インシャ・アッラー」と言ってゆっくりと、丁寧にお辞儀をした。
「アッラーの御心のままに。」
「旅はきっとうまくいきますよ、アッラーがちゃんと見ていてくれますから」というような意味なのだが、異教徒の私でもグッとくるものがあった。
手の平には、いつまでもその温もりが残っていた。